パドヴァのお勧めスポット…その他穴場観光地編

パドヴァの町は多くの遺跡や美術品が数多く残り、見所でいっぱいなのですが、ガイドブックには載らない、町の風景ともなる美しい遺跡の数々も見逃せないもののひとつ。生活と一体化しているところがまた魅力的なこれらを少しずつ紹介します。
【パドヴァ在住 白浜 亜紀】スタッフプロフィールを見る


チッタ・ムラータ(Città murata)…壁(塀)と門の町 4つ星

パドヴァのモリーノ門町の至るところで現在も残された塀を見ることができます。 モリーノ橋とモリーノ門は、旧市街地ダンテ通りの北側

パドヴァのモリーノ門1500年代建造のサヴォローナ門。ヴェネツィア共和国のシンボル、ライオンが刻みこまれています

いわゆる壁に囲まれた町のこと。町中を大きく壁で囲み、その中で自治活動が行われ、敵の侵入を防いでいた町の構造です。イタリアにはこういった構造の町が多く見られますが、ここパドヴァにもそういった歴史があり、今でもその名残を見ることができます。

パドヴァの旧市街地を囲む壁は 1195 年から 1210 年の工事で初めの壁ができ、その後 1400 年代までにパドヴァを領土として支配していたカッラレージ家の城を中心に造られたもの。そしてその後ヴェネツィア共和国の支配下となったパドヴァが領土を広げたために造った 1500 年代のものがひとまわり大きくその周りを囲むような構図になっています。

壁がある、ということは、いくつかの要所に門を造り、そこ以外からの出入りは不可能だったということで、その時代に造られた門や橋などが今もなお残されています。今現在残るのは、旧市街地を囲む壁の一部と 6 つの門。どれもこれも当時の面影を感じさせるものです。
なかでも重要な門のひとつがモリーノ橋・門( Porta e Ponte Molino/ ポルタ , ポンテモリーノ)です。

この橋が通る通りはヴィア・ダンテ( Via Dante )。紀元前 40 〜 30 年、古代ローマの時代にできた通りで当時のパドヴァの目抜き通りでした。この橋の前進はその当時に建造されましたが、その後 12 世紀に再建築されたものです。これと同じようにして現在も残されているのは、このモリーノ門とポンテコルヴォ門( Porta Pontecorvo )です。

モリーノ門には大変に興味深い逸話が残されています。ガリレオ・ガリレイが 1610 年、この門の上部に天文台を設け木星を発見したのがこの場。
今はここを普通に車や人が通っています。歴史と現代をつなぐ、まさしく“ポルタ(門)”です。

パドヴァのゲットー地区

モリーノ門でガリレオの軌跡を探してみましょう!

モリーノ門のアーチには、ガリレオの功績を称えた碑板がはりつけられています。刻まれているのは『この塔からダンテは多くの天空を発見した(Da questa torre GALILEO molta via de cieli svelo)』。

今から400年も昔にガリレオもここから空の彼方を眺めていたなんて、なんだかロマンチックですね。


ガリレオ・ガリレイの家( Casa di Galileo - カーザ・ディ・ガリレオ)

ガリレオの家ガリレオの家の外観。内部は1400〜1500年代のフレスコ画が残っているらしいです。

4つ星
1500 年代後半にパドヴァにガリレオ・ガリレイが住んでいたときの住居です。パドヴァ内で何箇所かに住んでいた、との説がありますが、現在知られているひとつがここ。実際にこの場所を訪れても「え?ここが??」と言いたくなるほど、、、何もありません。地元でも知らない人も多数います。かなりの穴場です。

道筋には標識がたっていますので、それと分ります。

サンタントニオ教会から北にのびる道、サント通り( Via del Santo )を北に向かって歩き、東に反れる道に、その名もガリレオ・ガリレイ通り( Via G.Galilei )があります。


ポルティコ( Portico )とサンフランチェスコ通り( Via San Francesco )

パドヴァのポルティコ フランチェスコ通りの古いポルティチ

4つ星
ポルティコとは、日本でいうアーケードのようなものです。パドヴァには道のあちこちにポルティコが見られ、これがまた町並みの美しさを一層ひきたてています。

その特徴は丸くて太い柱が定間隔で並び、それら柱の間の上部は美しいアーチ状となった姿です。街中を歩くと自然と目につくものですが、私の一番のお勧めは Via San Francesco/ ヴィア・サン・フランチェスコにあるポルティコです。

この通り自体は街中でも古く歴史のある通り。教会や昔の病院、ガリレオの家のあるヴィア・ガリレオ・ガリレイにも、そして聖アントニオ教会にも続く道。さらにこの道の行き止まり(もちろん現在はその先から道路が延びていますが)には、古代ローマ時代にその原形をもつポンテコルヴォ門へと繋がっていることから、主要な道のひとつであったことが窺えます。とても美しいものですので、ぜひ歩いてください!!


ドゥオーモの裏側

パドヴァのヴェスコバルド司教館ヴェスコバルド。大変美しい建物です。この近辺には、宗教関連のグッズを売るお店も並んでいます。

4つ星
見所のスポットであるドゥオーモをぜひぐるりと一回りしてください。裏側にそびえたつ塔は、詩人ペトラルカが 1300 年代に一時住みかにしていた建物あります。 Canonica/ カノニカと呼ばれるロマネスク様式のもの。

また、その先に見えるのが、 1485 年建造の Vescovado/ ヴェスコバルドです。日本語では“司教館”と訳されます。ここは宗教関連の図書館になっており、 12 世紀の手書きのラテン語などで記された書物などが保管されています。

どちらも大変美しい建造物です。

なお、ペトラルカが生涯を閉じたとされる家は、パドヴァ郊外のアルクア・ペトラルカ( Arquà Patrarca )に残っています。


アンテーノレの墓(Tomba di Antenore - トンバ・ディ・アンテーノレ)

パドヴァのアンテーノレの墓
アンテーノレの墓のあるパドヴァ県庁前。

4つ星
伝説上の人物のお墓が忽然と町の真ん中にあります。アンテーノレとは、古代ギリシャ、トロイからアドリア海を渡り、パドヴァの北東の海辺のアドレアという町に漂着、川を渡ってパドヴァに着きそこをパドヴァと位置づけたとされる人物。 3000 年以上歴史を遡るパドヴァ創生の人、とでもいえるのでしょうか。しかし、これはあくまでも伝説上のこと。本当は 3 世紀から 5 世紀の間にローマ帝国崩壊の後に攻め入ったドイツまたはハンガリーの兵士の骨の一部だったのでは、といわれています。

このモニュメントが建っている背後の建物はパドヴァ県庁です。それ以前には裁判所として利用されていましたが、もともとはサント・ステファノ教会の修道院でした。

また、道を挟んだ建物はダンテの住処だったとされる建物が残っています。フィレンツェを追われたダンテがパドヴァ領主のカッラレージ家によってここに保護されていました。

パドヴァのダンテの家

イタリア文学最大の詩人、ルネッサンスを生んだダンテ

フィレンツェを追われたダンテがパドヴァ領主のカッラレージ家によって保護されてた住居。

1306 年、カッラレージ家によりダンテをここに保護したとされる碑板が貼ってあります。




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