
トリノのシンボル、ラ・モーレ・アントネッリアーナの塔。中には国立映画博物館があります。大人も子供も、映画を知らなくても楽しめる優秀な博物館。

トリノのポルティコ(アーケード街)。何本ものアーケードがカステッロ広場から伸びています。

トリノのシンボル、雄牛。こういう噴水が市内どこにでもあります。もちろん飲むことができます!

町の中心、サン・カルロ広場はいつも賑わっています。Porta Nuova駅からローマ通りをまっすぐ進むと広場に到着です。

ローマ通りのサン・カルロ広場を過ぎると、王宮とカステッロ広場に到着します。トリノ市内はあるいても観光できる大きさです。

エジプト博物館のツタンカーメン像(右)とアメン神(左)
トリノといえば、2006年に開催された冬季オリンピックを思い出される方も多いだろうし、ワインやトリュフなどの美食を思い浮かべる方、もしかしたら、キリスト教の聖遺物「トリノの聖骸布」をご存知の方もいるかもしれない。トリノはピエモンテ州の首都で、イタリアの北西部に位置する。イタリア国内では有数の工業地帯で、イタリア国内4番目に大きな人口を抱える大都市である(2010年調べ)。
トリノという地名は、もとはケルト語のタウ(Tau)=山 から来ている。イタリア民族の支配下で「トリノ」と呼称が定着してからは、「トリノ」というイタリア語が「小さな雄牛」を連想させることから、街の紋章として雄牛が使われるようになった。
今でも至る所に雄牛のシンボルを見ることができる。
トリノ市内は道路が碁盤の目のように90度に交差する、至って分かりやすい街並をしている。これはローマ帝国時代の建築の名残で、帝国崩壊後の暗黒時代以降も、礎石が破壊されることなく生かされてきたものである。
政治力と財力を共に備えたフランス貴族サヴォイア家(伊Savoia, 仏Savoie,英Savoy)がトリノに初めて居城を構えたのは1280年。
1560年にサヴォイア家がトリノへ遷都したことで、トリノは歴史上最も長く栄える貴族家の支配する王国の首都となる。この豊かな実りをもたらす大地と、侵略・防衛上欠かせないポー川を備えた小都市は、フランスの影響を色濃く受けて行く。
その間、サヴォイア家の手によって多くの芸術、文化、建築技術がトリノに持ちこまれた。トリノの旧市街を走る、何本ものアーケードは、サヴォイア貴族が「雨に濡れずに街を歩きたい」として建設したもの。また、キリスト教の最後にして最大の謎を秘める「聖骸布」がトリノにもたらされたのも、この時代であった。
時代は下って1861年、当時のサヴォイア家当主ヴィットリオ・エマヌエレ2世 (Vittorio Emanuele II)は、イタリア統一を果たし、イタリア王国の君主となる。
そして初めて「統一イタリア」の首都となり、ナショナリズムの象徴と原点となったのが、トリノであった。
その後イタリア国の首都がローマへ移ってからは、トリノは産業都市へと姿を変え、世界でも有数の自動車工業地域となった。イタリア国産車の会社フィアット(FIAT)はトリノに本社を置いている。
生粋のトリノ人は気位が高い、というイメージがあるようだ。しかし、現代のトリノの人口は、フィアット全盛期にイタリア各地から移民してきた人々が多数を占め、トリノ人はそれを許容して来た素地がある。ゆえに、みんな至って親切で、助け合い精神に溢れているのである!
トリノでは、有名人・著名人を見ても声をかけてはいけないという、暗黙の了解がある。これはサヴォイア貴族が市民に混じって町を気軽に歩いていた時代からの習慣の名残だという。
トリノの有名サッカーチーム、ユベントスに初めて入り、トリノに住んだ選手たちは、口を揃えてこう言うという。「トリノは誰にも邪魔されることなく、普通の生活が送れる夢のような町だ!」と。
トリノでピエモンテ州の美食を堪能する以外に、いくつかの外せない見所を。
これらは全て徒歩圏内にあるので、1日で回ることも可能です。
日本人が多く訪れるミラノから列車で2時間、ロンドンから直行便で2時間半。底抜け
に明るいイタリアのイメージをちょっと変えてしまう、フランスのような落ち着きと
エレガントさを持つ町、トリノ。贅を凝らしたカフェでチョコをつまみながら午後の
お茶をするもよし、はたまた、ポルティコ(アーケード)をそぞろ歩くもよし。歩道も
イタリアの都市にしては歩きやすくできているので、女性はとっておきのヒール靴で
も大丈夫。トリノは夜も比較的安全。だからぜひ、夜のトリノも楽しんで!(でも、ど
うぞ気は抜かないで・・・)